病気やケガで困ったとき
頼れる場所であるために。
私たちは、
あかりを灯し続けます。
2005年4月1日。
相澤病院の救命救急センターが
始まりました。
慌ただしい朝も、
家路につく夕方も、
あかりを消して眠る夜も。
そして、たのしい休日も。
私たちは、
いのちと向き合ってきました。
2001年に24時間365日の
断らない救急を始めて以来、
そのあかりは、
一度も消えたことがありません。
季節が移ろい、
暮らしが変わっても。
この街で、この場所で、
安心して暮らせる日常を守ること。
21年目の春。
相澤ERのあかりは、
今日も灯り続けています。
相澤ERは、松本地域とともに
歩んできました。
ここでは、その歩みの軌跡をたどります。


1994-2004
救急医療の礎を築いた「創成期」
救急外来の開設から、
24時間365日体制へ
命を支える
救急医療の土台を築いた10年。
1994
4月
救急外来を開設


6月
松本サリン事件が発生し、
29名を収容

1994年6月28日 市民タイムス号外
9月
HCU病棟を開設
10月
相澤孝夫が理事長・病院長に就任
1995
6月
ICU病棟を開設

7月
救急隊との直通電話を開設
1997
3月
MRI(1.5T)を増設
1998
6月
救急隊とのホットラインを設置
2001
4月
「救急医療センター」を設置し、24時間365日体制を開始

8月
地域医療支援病院の承認を受ける
10月
脳血管内治療センターの開始

2002
1月
日本救急医学会救急科専門医指定施設に認定
4月
屋上へリポートを設置

北米型ERシステムを導入
重症度を問わず、すべての救急患者を受け入れる体制へ


電子カルテシステムの運用を開始
5月
松本広域消防局救急救命士の病院実習を開始
6月
放射線科が365日体制を開始
8月
脳卒中センターを開設
2003
4月
臨床検査部を新設
7月
SCU病棟を開設
2004
4月
「救急センター」と改称し、ER体制の充実を図る
7月
新潟県中越地震に医療ボランティアを派遣


2005-2015
使命を社会に定着させた「確立期」
救命救急センターとしての役割を
明確にし、
高度な救急医療や災害医療へと歩みを広げた10年。
2005
4月
「新型救命救急センター」の指定を受ける

7月
救急救命士の特定行為に対する常時指示体制を開始
2007
3月
相澤モービルERを導入


能登半島沖地震に相澤DMATを派遣




7月
新潟県中越地震に相澤DMATを派遣




2009
1月
320列CTを導入
3月
日本災害派遣医療チーム(日本DMAT)指定病院の指定を受ける
長野県災害派遣医療チーム(長野県DMAT)指定病院の指定を受ける

12月
手術センター増改築工事完成(8室体制)
心臓病専用病室(CCU)新設
2010
5月
非常通報装置を設置(松本警察署直通)
12月
長野県消防防災ヘリコプターの医師等搭乗救急活動を開始

2011
3月
東日本大震災に相澤DMATを派遣

5月
日本医療機能評価機構「救急医療機能 Ver.2.0」認定

2012
6月
薬品管理装置「リテラシェルフ」を導入

ERの一部を改装し、DU室を開設
11月
相澤ドクターカーを導入

2014
9月
御嶽山噴火災害に相澤DMATを派遣



11月
長野県神城断層地震に相澤DMATを派遣

2015
4月
救命救急センターが開設10周年となる


2016-2026
安心を次代へとつなぐ「深化期」
救急医療の質と体制を磨き続け、
この街の安心
を未来へとつないできた10年。
2016
5月
救急医療機能評価 認定(通算2回目)
2017
6月
田内克典が病院長に就任
2018
3月
松本警察署より山岳救助活動 表彰を受賞


9月
救急医療功労者 厚生労働大臣表彰を受賞



2019
1月
特殊ケアユニットの再編(HCU12床・ECU10床)


10月
台風19号による千曲川氾濫災害に相澤DMATを派遣



2020
3月
地域災害拠点病院に指定
2021
1月
「日本救急医学会指導医指定施設」に認定
2月
新型コロナウイルス感染症(クルーズ船)神奈川県庁活動拠点本部に相澤DMATを派遣

2022
5月
救急医療機能評価 認定(通算3回目)

10月
手術支援ロボット ダビンチ第4世代「da Vinci Xi」導入

2024
1月
能登半島地震に相澤DMATを派遣


8月
第一種・第二種協定指定医療機関に指定
10月
手術センター第9手術室開設

11月
SPECT装置導入
2025
4月
相澤克之が病院長に就任
救命救急センターが開設20周年となる
6月
「日本専門医機構集中治療科専門医研修施設」として認定
2026
2月
第2血管撮影装置更新

相澤ERが積み重ねてきた日々を、
数字を通してひもときます。
救急搬送患者数
救急搬送患者数の割合
(2024年度)
松本広域消防局
相澤病院への搬送状況
ヘリ搬送患者数
夜間緊急手術件数
救命救急センター
外来スタッフ数
(2025年4月現在)
総人数 84 名
救急科研修医育成人数
(2003~2026年度累計)
相澤ERに関わる11人に、
救急医療と地域への想いを訊きます。


新たな時代の、
新たな救急医療と
その体制を築くために
社会医療法人財団 慈泉会 理事長
相澤病院 最高経営責任者
相澤 孝夫
1994年、私は相澤病院院長就任時の所信表明で、「1908年の創業以来、終始一貫して追い求め、風土ともなっている救急医療を、相澤病院の核として更に成長発展させよう」と病院職員を鼓舞したが、そのことを知っている職員はほとんどいなくなってしまった。しかし、その鼓舞に応えてくれた職員が一致団結し、努力と創意工夫を重ね、数々の障壁を乗り越え、松本医療圏において相澤病院は優位な実績を誇る病院となった。
2002年頃からは救命救急センターを目指して施設設備を充実させると共に、救急医療に関わる診療科を増やし、救急に従事する職員も増やした。当時、長野県は救命救急センターがない中信地区にセンターを設置するため、希望する病院の手上げを求めた。これを好機と捉えた相澤病院は手上げをしたが、医療法人で救命救急センターを運営するのはムリではないか(医療法人が運営する救命救急センターはごく稀であった)、継続性についても疑念がある(経営赤字の原因となる不採算医療である救命救急医療を医療法人がいつまでもやるはずがない。赤字だからといって自治体等から補填の補助を受けられる制度がない)とされた。また、そもそも相澤病院の医療の質は低く、救命救急センターに求められる医療レベルにまで達していないなどのご指摘やご批判を頂き、センター指定は無理であろうと諦めていた。
詳細は割愛するが、その後に様々な紆余曲折があり、艱難辛苦を乗り越え、2005年に漸く長野県中信地区の救命救急センターに指定された。このことを知っている職員も少なくなってきており、私にとっては瞬く間であった20年と改めて感じる。
この地域に住む人々、この地域を訪れた人々、更にはこの地域の医療機関の皆さんが、医療に関しては安心して日々を送ることができる環境を創るために、24時間365日、けがや病気で困ったときに確実に受診できる救急外来が、地域にあることが極めて重要となる。そこで、北米型ERによる初期救急の充実と強化が必要と考えたが、そのような救急医療は救命救急センターとしてふさわしくないとする人たちもおり、24時間365日受け入れる救急を推進するためには想像を超えた様々な困難があった。
2015年(救命救急センター10周年記念)以降、センターの理念・ビジョン達成を目指したセンター職員をはじめとする相澤病院職員の前向きな努力によるERの充実ぶりは、目を見張るものがある。これもセンター及び相澤病院の職員の奮闘の賜であると感謝し、その労に敬意を表する。特に、初期救急診療後の緊急の治療や手術に関しては、センターの役割として必要とされる迅速で円滑な対応が行われており、そう簡単ではないこの対応について、センターの職員も含めた関係する全ての病院職員の並々ならぬ尽力に感謝したい。
患者の救急入院が必要となった場合については、患者本位の入院の仕組みを構築することが必要であるが、センター内だけで完結するものではなく、院内の関係部署や院外の医療機関など、様々なステークホルダーとの協働が欠かせず、一朝一夕にできるものではない。救急入院のあるべき姿については、様々な検討と難しい調整が必要であるが、現在、一歩一歩前進しつつあり、今後の発展に期待したい。
センター職員が中心となって立ち上げたDMATは、2004年に初めての災害医療活動として新潟中越地震に出動した。その後も熱心にDMATの派遣や様々な災害医療活動を行ったことにより、2006年にDMAT指定病院となった。災害医療体制の拡充や強化を継続して行ったことが認められ、2020年には地域災害拠点病院に指定された。これも地道に災害医療に取り組んでくれたセンター職員の努力の賜であり、心から感謝したい。
センターは災害医療ばかりではなく、院外救護活動に加え、最近では救急車両を用いた患者搬送業務も活発化しており、センターの業務は益々拡大傾向にある。必要とされる医療を感じ取り、適切な対応を実践するセンターの姿を頼もしく感じている。
今、日本は人口減少高齢化時代の真っただ中にあり、日本社会は大きく変わりつつあることから、社会の様相を敏感に映す救急医療も救急医療体制も、時代の変化を見据えて大きく変わらなければならない。旧態依然とした考え方を打破して、新たな時代の新たな救急医療や体制を築くために、救急医療の最前線にいるセンター職員の積極果敢なチャレンジを期待している。その変革のエネルギーが相澤病院救命救急センターの更なる発展と進歩をもたらしてくれるであろう。


地域から信頼される
救急医療を支える
中心的役割として
相澤病院 病院長
社会医療法人財団 慈泉会 副理事長
相澤 克之
相澤病院救命救急センターは、私にとって医師としての原点です。2005年、医師として、そして研修医として最初に働き始めたのが当院でした。
当時、救命救急センターは医師不足の状況にありましたが、先輩医師の手厚いサポートのもと、研修医でありながら一人の医師として診療にあたる日々を過ごしました。24時間365日断らない救急を掲げ、北米型ERとして多様な患者さんを受け入れる現場で積み重ねた2年間の経験は、医師としての成長のみならず、循環器内科医として急性期医療に向き合う姿勢の礎、そして病院長として地域医療を守る矜持につながっています。
開設から20年を迎えた現在、当センターは年間7,000件を超える救急搬送に対応しています。高齢化の進展に伴い、複数の疾患や複雑な社会的背景を抱える患者さんが増えるなど、救急医療を取り巻く環境は年々複雑さを増しています。
私の医師の原点である相澤病院救命救急センターは、これからも地域から信頼される救命救急センターとして、多診療科・多職種が連携するチーム医療を推進するとともに、地域の医療機関との役割分担と連携を一層強化し、これまで相澤病院が大切にしてきた「断らない救急」の精神を未来へとつなぎながら、松本医療圏の救急医療を支える中核的な役割を果たしてまいります。


相澤病院
救命救急センターが
安心を与えられるように
相澤病院
救命救急センター センター長
菅沼 和樹
私は17年前、研修医として相澤病院に就職しました。
「どんな患者さんでも右往左往することなく救急初期対応ができるようになりたい」との思いから、「断らない救急」を掲げていたこの病院で研修することに決めました。当時は働き方改革もありませんでしたので、ときには目が回るような忙しさの中で鍛練を積み、気付いたら救急医として医者人生を歩んでいくことを決意していました。
他病院を経て再び当院で働くことになったわけですが、社会情勢や医療情勢が変化していく中でも変わらずに「断らない救急」を実践していることに誇りを感じております。
私が当院に戻ってきたときは救急医が非常に少なく大変な状況でしたが、若手医師への積極的な魅力発信や集中治療をはじめとした入院診療の充実を図った結果、今は若手~中堅医師が多く集まってくれて活気がある現場となっています。
高齢化がますます進み、日本の救急搬送件数は年々過去最多を更新しています。相澤病院救命救急センターが存在することで「何かあれば相澤に駆け込めばよい」と松本地域の皆様が安心して暮らすことができるよう、我々はこれからも日々精進していきたいと思います。


救急における
医師確保の重要性
相澤病院 救命救急センター
特命推進役
小山 徹
25年ほど前は、松本広域では夜間や休日は当番病院以外ではほとんど患者さんをみてもらえない状況だった。当番日に相澤病院は、脳外科・内科・外科の3人で当直をし、多数の救急患者の診療にあたっていた。現在では高齢者を中心に救急車の搬送台数が増え、救急として施行すべき検査や必要な人員も増えている。
相澤病院の救急外来では、夜間でも6~7人の救急担当医師が勤務し、それに加えて複数名の専門医師が待機しているが、昔のような少人数で現在の診療を行うことは到底できそうにない。
相澤病院では病院や現場の努力の結果、救急科の医師数(スタッフ+専攻医)が増え(2026年4月で18人)、研修医も参加し多数の救急患者の診療を行えるようになった。救急を充実させようとする病院の絶え間ないメッセージ、専攻医の教育機会を保証するための工夫や費用、それをバックアップするその他のスタッフの協力などが必要だ。上ばかり見て足元をすくわれないように、今後も救急の医師確保に向けて常に努力や工夫を続けていかなければならない。


ER開設
20周年によせて
相澤病院 副院長
(診療部/外来診療部門担当)
新倉 則和
相澤病院のミッション2027の第2項・第3項にあるとおり相澤病院ERは相澤病院のミッション中心です。今日においてさえ、多くの病院で、医師の多くが専門診療の余技として、日中の診療で疲れた身体を押して夜間の救急に携わっています。
私自身、20代から30代で勤務した病院では一人当直で夜間・休日の急患に対応し、「翌朝まで様子をみて良いか・様子を見ることはあぶないか」を判断することが自分の役割と考えながら、思うようにできない検査を頼りにつたない診療を行い、他科の医師に相談するも不機嫌な対応をされることも多く、遠慮すると後で患者からクレームを受けるといった経験を繰り返してきました。
その当時、自分の仕事の9割5分は日中・夜間の専門領域の診療であり、救急当直などは患者・地域へのサービス程度と考えていました。当時は、病院は専門家が集まった集合体であり、高度の専門診療を提供するのが病院の役割と考えていました。しかし地域の住民からすると、まず困った時にすぐに対応してくれる病院が求められており、その窓口がERとなります。
相澤病院ERの姿が、地域住民に求められる病院の姿に近いと思います。当院で仕事するようになり10年となりますが、その事をことある毎に感じています。


来し方、
行く末
相澤病院 副院長
(病院品質/医療安全担当)
小田切 範晃
思い返せば、私が入職した2002年当時、常勤医は40数名で、夜間の当直業務は内科系・外科系各1名で行っていました。現在ではER専属医師が10名以上、臨床研修医も20名を数えるまでに体制が拡充しており、当時を思えば隔世の感があります。
救命救急センターの指定から20年が経過し、体制の充実とともに受け入れる患者さんの数も着実に増加してきました。その中で相澤病院の掲げる「断らない救急」の姿勢は、地域のみなさまにも確実に浸透してきたと感じています。
救急での苦労話といえば、現在の「働き方改革」からすれば、到底容認されないような勤務も多々ありました。夜間に複数件(最高4件!)の緊急手術を行い、翌日にも予定手術を担当するなど日常茶飯事でした。しかしながら、病院が持続的に発展していくためには、多くの患者さんを受け入れた上で、医療の質と安全の担保、職員への教育的・労務的配慮等が不可欠であり、患者さんのみならず医療者からも選ばれる病院であり続けることが求められるのだと思います。
今後も「困った時は相澤病院」、「働くなら相澤病院」と思っていただけるよう、全部署ワンソウルで地域医療を支えていきたいと考えています。


つねに
市民の皆さんと共に
相澤病院 副院長
(病院運営/連携・退院担当)
山本 智清
救命救急センター(ER)が発足して間もない時期に相澤病院で勤務するようになりました。当初は内科医の一人として、その後は研修医教育の責任者、病院運営の責任者など、立場は変わりつつも、今でもERで患者さんを診ています(実務の時間は大分減りましたが)。
実は一時期、医師の体制が厳しくなった時期があって、その時には辞めようかと考えたこともありました。そんなおり、たまたま市内で乗ったタクシーの運転手さんから言われました。
「私は東京で長く仕事をしていたこともあるから分かるが、東京で急病になって救急車呼んだって、診てくれる病院が何時間も見つからないなんてこと、ざらにあるんですよ。でも松本には相澤病院がある。何時間も待ったなんて話聞いたことがない。本当にありがたい。」何とか踏みとどまり、その後、医師体制の問題もかなり解消しました。
人材確保や、人材育成、また経営など、様々な問題が山積していますが、ERが市民の皆様にとってなくてはならない場所であることに誇りを持っています。つねに市民の皆様の健康を守っていくために、ERが存続発展することが出来るよう、微力ではありますが、今後も全力を尽くしたいと思います。


救急医療における
画像診断の役割
相澤病院
放射線画像診断センター センター長
小口 和浩
救命救急センター開設二十周年おめでとうございます。
私は生まれも育ちも松本で、私の両親をはじめ家族全員が相澤病院にお世話になっています。いつでも行けば診てくれる、駆け込めば何とかしてくれる、そんな相澤病院ERの存在は、松本住民にとってどれだけ心強いことか、身をもって感じております。
私が相澤病院のPETセンターに赴任したのは2003年、2006年からは放射線画像診断センター長を務め、CTやMRIの読影、緊急血管造影や止血などのIVRでERに関わって来ました。
2006年の救急科依頼のCT、MRI読影件数は年間7,000件余(部位ごと)、2025年は17,600件余、おそらく患者数の増加を上回る増加率かと思います。それだけ、救急における画像診断の重要性が増し、以前よりも早い段階で画像検査が行われ、臨床診断に寄与しているのだと思います。
また、以前は私たちの診断レポートが読まれないこともありましたが、現在はレポート既読のチェック体制も整備されました。まだまだマンパワー不足ではありますが、救急医療を画像診断とIVRで支えられるよう、一層の体制の充実に努めていきたいと思っております。


ERとともに歩む
手術センター
相澤病院
手術センター センター長
小笠原 隆行
当院救命救急センター(ER)は北米型ERとして、365日24時間の受け入れ体制を維持し、軽症のウォークイン患者から救急搬送を要する重症患者まで、幅広い症例に対応してきました。緊急手術を必要とするケースも多く、手術センターは迅速かつ適切な手術治療を提供する重要な役割を担っています。
ERでは、ERスタッフと各専門診療科が連携して診断を行い、手術センターでは麻酔科医を含むスタッフと外科系医師が協働して治療にあたっています。こうした連携体制こそが、20年にわたり当院の救急医療を支えてきた大きな基盤であると実感しています。
私が赴任した平成15年7月当時、当院には麻酔科医が不在で、外科や脳外科の先生方に自科麻酔をお願いせざるを得ない状況でした。人員不足の中で、麻酔科としてすべての全身麻酔を担えるようになったのは赴任から1年後のことでしたが、365日24時間体制で救急を支える手術センターの厳しさを痛感したことを今でも覚えています。夜間・休日を問わず緊急手術が続く厳しい環境ではありましたが、少しずつ体制整備を進めてまいりました。
現在では、人員や管理体制も整い、安全で質の高い手術医療を提供できる体制が確立されています。今後もERを力強く支える部門として、より一層努力を重ねてまいります。


これまでも、これからも
地域と共に歩む
救急医療
相澤病院 副院長(看護担当)
看護部 部長
伊藤 紀子
相澤病院に入職した当時、私はHCU(現在のECU)に配属されました。まだ救急外来と一体で運用されていた頃で、夜勤者も少なく、救急車が重なればHCUスタッフが救急外来へ駆けつけ、直接入院を受け入れることも日常でした。救命救急センターとなる以前から、「断らない救急医療」を実現するために職種を越えて皆で力を合わせていた日々は、今も強く心に刻まれています。
その後、救命救急センターとしての体制が整い、医師・看護師をはじめとする医療専門職の夜勤体制が強化されたことで、より高度で安全な救急医療を提供できる環境が整いました。
救急看護とは「一期一会の看護」であり、その瞬間、その場所でできる最善の看護を届けるためには、一人ひとりの看護職の専門性を磨き続けることと、組織として人材を育てる環境づくりが欠かせないと考えています。
そして21年目を迎えたいま、地域の皆さまと“共に歩む” ことを大切に、地域の医療機関や介護施設とも連携を深めながら、救急から入院、退院後の生活まで切れ目なく支える仕組みをさらに充実させていきます。
「相澤病院で看てもらえてよかった」と感じていただける存在であり続けること。それが、変わることのない私たちの使命です。


救急の灯を
絶やさぬ誇り
相澤病院 事務長
小山 明英
「救急医療は人生の縮図である」——これは20年、現場で携わってきた私の実感です。
2002年3月29日屋上ヘリポート直下型の相澤ERを開設。以前の救急外来(現心電図検査室)から現在(前栄養科厨房施設)の場所へ移設しました。2005年に新型救命救急センターの指定を受けました。
私たちが追求したのは、24時間365日、全ての救急患者を断らずに受け入れる北米型ERの完遂です。病院の一貫した方針、全職員の深い理解、そして現場に漲る「救急を実践しよう」という圧倒的な熱気。この三柱を軸に、ハード・ソフト両面の整備を続けてきました。
紆余曲折を経て現場が「野戦病院」化した時代もありましたが、その経験こそがコロナ禍という未曾有の危機の支えとなりました。2020年2月からの約3年間、発熱外来の受診者は延べ32,000人に達しました。当時は正直、生きた心地がしませんでしたが、職員一丸となって地域を守り抜いたことは私たちの誇りです。
この20年、支えてくださった消防、警察、行政、そして地域の皆様に深く感謝申し上げます。これからも「地域医療の最後の砦」として、さらなる連携を図りながら、次なる10年へ向けて邁進して参ります。
相澤ERの救急医療は、
専門的な設備と、ひとの連携によって
成り立っています。
ここでは、現場を支える環境と
体制を紹介します。
































































救急医療を動かす、
病院の総力
救急医療は、ERだけで完結するものではありません。
さまざまな部署が連携しながら、日々の救急を支えています。

集中ケア病棟(HCU/ECU)

SCU(脳卒中ケアユニット)

手術センター

放射線画像診断センター

内視鏡センター

臨床検査センター

薬剤センター

口腔病センター

腎臓病・透析センター

医療連携センター

3A病棟

3B病棟

3S病棟

4A病棟

4B病棟

4S病棟

5A病棟

5B病棟

5S病棟

CE科

リハセラピスト部門

救急医療を支える責任者たち

21年前の4月1日、
地域の使命を背負い、
相澤ERは歩みを始めました。
私たちが選び続けてきたのは、
この街の「安心」を
途切れさせないという道。
そのあかりを、絶やさぬために。
相澤病院は、その歩みを止めることなく、
次の時代へとつないでいきます。
未来は、私たちが拓く。
ER 21st ― for ALL, with Care
救命救急センター
information »